Disabled in STEMM
矢田祐一郎博士インタビュー 字幕テキスト
ご自身の障害について教えてください
矢田博士:聴力低下が始まったのは22歳、3歳頃からで、徐々になんですけど、元々は、その頃に持病のほうで手術を受けまして、それでしばらくは特に問題なかったんですけど、それを境にして、数年かけてゆっくりと聴力が低下してきました。最初は、例えば、大学の授業とかで、やっぱり大きな講堂とかで、話が聞き取りづらいなというところから始まったんですけれども、例えば、あとは、大きな部屋でのミーティングとかが、なんか、向こうのほうの人が言ってることが全く聞こえないっていう状況でした。で、しばらくは、少し不便だなと思う状態のままいたんですけども、やはり、この3年ぐらいですかね、またちょっと1段階2段階ぐらい聴力が低下いたしまして、まあ、結構狭い部屋で話してるミーティングとかでも、何を言ってるか分かんなくなってしまったりとか、普通に対面で話すことでも、人によってというか、結構多数の人で、やっぱり聞き取れないっていう状況になってしまいました。やはり、すごい、そうなりますと、何でしょう、意思疎通にすごい問題が出てくるので、やはりミーティングなどでは、そういうノートテイカーというか、誰が何話したかを書いてくださる方が、一応、いらっしゃいます。それ専用の方ってわけじゃないんですけども、普通の担当されてる方が、ミーティング中にノートテイカーの役割を担っていただいてるって感じです。
インタビュアー:聴力が落ちてきたっていうのが22歳ということなんで、大学院にもう入られたぐらいかなと思うんですけれども、ご病気自体は10歳ぐらいからということだったので、早い、10歳ぐらいの頃から大学受験とかまでの間で、ご病気が、何か学習をするとか、あるいは受験をするとかいうところで、障害になったことはありますか?
矢田博士:んー、それほどないですね。それはすごい幸運だったとは思うんですけど、その、大学受験までぐらいの間で、特に、何でしょう、決定的な影響を及ぼしたことはなかったです、はい。
インタビュアー:聴力が失われてくるということは、もっと若い頃、この病気が判明した時点から分かっていたことなんですか。それとも、それは人によってどこがどのように発症するかは分からない感じで、耳に来たっていう感じだったのか、ちょっとその辺も教えていただけますか。
矢田博士:ああ、はい。そういう可能性はあるっていうことは分かっていたんですけども、それが僕自身はあんまり分かってなかったです。当然、多分、両親とかは知っていたんだと思うんですけども、僕は、具体的にどうってことはあまり分からずおりました。分かったのが、21、2[歳]ぐらいだったと思います。
インタビュアー:そのときにそのことをどう思われたんですか。
矢田博士:んー、やっぱり最初は少し絶望、絶望っていうと変ですけど、そうかって思って、でも、やっぱりちょっと実感がないこともあり、あんまり、ちょっと落ち込みはしましたけども、とりあえず目の前のことをやってくしかないっていうふうには、いつも思っていますので、まあ、目の前のことをやっていました。そうこうしてる間に、ちょっとやっぱり耳が悪くなってしまったですけども、はい。
ご自身の研究について教えてください
矢田博士:元々は工学部の出身で、どちらかというと情報工学といいますか、数学とかコンピュータを使ったような研究をしていたんですけども、やはり、自分の、何でしょう、目が若干不自由であったりとか、耳の問題もありますし、あとは、僕、手も若干不自由なんですけど、そういったことから、情報機器の力で何かアシストしたいとか、そういう研究をしたいなという思いが非常に強かったんですね。そういった研究をしばらくしていたんですけども、やっぱり、感覚補助ということもやはり大事なんですけど、やっぱり病気というか、どうしても、障害と病気っていうのはちょっと違うものだとは思っていまして、つまり、病気っていうのはどんどん進行してしまう場合もあるので、だから、そういうものを食い止めるようなことを、情報工学の力で何かアシストというか、力で何か新しい方法が開けたりとかするような研究に取り組みたいと思って、今はそういったような研究をしています。
研究を続けるうえで難聴が障害になることはありますか?
矢田博士:やはり難しいこととしては、専門的な内容の打ち合わせっていうのがやっぱり多い、というか、それがほとんど全てですので、例えば、単語が当然、[ノートテイカーが]ご存じでないものとかっていうのが結構あるとは思うんですよね。そういうものとかだと、ちょっと言われても、正しくその方が聞き取れていなかったりとか、あとは、当然、タイピングするんで、変換することになるんですけど、なんか全然、ちょっと違う変換っていうか、カタカナの言葉なのに途中まで漢字になって変換されたものがやっぱり出てくるとか。そこは、ちょっと、こう書いてあるけどこういうことなのかなっていうふうに、こちら側で頭の中で置き換えていく必要があって、そこがやっぱり少し難しいとこではあるとは思います。やっぱり専門的な知識がある方がある程度やらないと、ノートテイクという意味では完璧なものにはならないとは思います。
私が担当っていうか、メインで質疑とかしているときは、「もう一度お願いします」って感じで言うことは可能です。ただ、チームの場合だと、自分が主たる話者でなくても、内容について知っておきたいこと、知っておかなきゃいけないことっていうのは多くて、やっぱり、そういう面で、聞き取れない、内容が理解できないとか、何についてのところなのかってことが分からないっていうのが、困りごとではあるとは思っています、はい。
インタビュアー:今、やってらっしゃるご研究というのは、例えば、実験とか、そういうことをするようなご研究なんでしょうか?
矢田博士:多くの研究、多くの作業っていうか、多くの時間は、基本的にコンピューターの前でプログラムを書いたりとか、解析をするといった作業がメインですので、あんまりそんな、実験室でどうこうっていったことには問題がないですけど、当然、でも、聴力障害というか、聴力の問題になるのは、やっぱりひとりでやる作業はそんなに問題にならないので、どちらかというと、コミュニケーションが問題になってくるので、作業って意味ではあんまり困ることは多くはない。
ただ、どうしても実験室とかにいると、アラーム音が聞こえないっていうのが少し困ったことで、例えば、冷蔵庫のふたが開いてたとしたら、すごい大変なことになるとは思うんですけど、それでも普通はアラームがピピピって鳴るんですけど、聞こえない。まあ、冷蔵庫の開けっ放しだったら、中身が溶けて大損害を食らうところで済むんですけど、例えば、今度は、CO2濃度が高く、二酸化炭素濃度が高くなった、で、アラームが鳴った、なのに聞こえないのは、ほんとに死亡事故とかにつながってしまうので、そういったのはちょっと困る点ではあります。かなり困る点ではあるとは思います。CO2濃度とかってレベルになってくると、結構、ほんとに死亡事故につながってしまうので、ライトでの、ライトっていうか、その部屋中、部屋ごと、ライトが点滅するみたいな対応はあると思うんですけど、冷蔵庫とか開けっ放しぐらいになってくると、当然、ライトは光ってますけど、見てなきゃ見えないので、そこがちょっとやっぱり難しいですね。機器も1個じゃないので、例えば、冷蔵庫があるとか、たくさんそういった、なんかアラームが鳴るものがあって、見れば分かりますけど、見ないと分からないっていう。音の場合は見てなくても分かるじゃないですか。目で見ないといけないと、見ないと分かんないので、そこがちょっと気になりますね。だから、例えば、ひとりで実験して、終わったときとかは、そういったエラーが出てないかとかって、1個1個、実験機器の前をぐるっと回って、特に何もエラー出てないなってことを確認しないと、ちょっと不安になってしまったりとか、そういうことはあります。
どうして今回のインタビューに協力しようと思われたのですか?
矢田博士:具体的な経緯としては、このプロジェクトに関わっておられる方に、元々ちょっとお知り合いだったので、ちょっとご相談をしました。何かそういう、例えば、理系の学生、理工系の学生とかで、ロールモデルというか、頑張っている姿の体験談とか、そういうことがあってもちゃんと配慮してもらえる方法があるよとか、そういうことを知ることができれば、知らずにどうせ何も配慮してもらえないとか、何もこうだからできないとか、そういうふうに諦めてしまうことがなくて、ちゃんと場所を探したり、ちゃんと伝えれば、配慮してもらったり、アシストしてもらって進められるってことを分かるような場は、なんかできないですかね、みたいなことをご相談をして、そしたら、ちょうどそういうインタビューをしてるよっていうことで、ご紹介いただいたっていうのがきっかけです。
僕自身も、そんなに交友を深めてこなかったっていうと変なんですけど、あんまり、そういった、例えば、障害を持って活躍されてる人とか、活躍されている、そういう理工系の人とかっていって探しても、すぐに出てくるわけじゃないし、こういったご病気とか障害とかを抱えていても、特に何も言わずにすごい頑張っていらっしゃる方とかも当然いるわけで、ちょっとまだ、そういった人とあんまりたくさん知り合えていないっていうことは、ひとつあるなとは思います。ただ、例えば、今回ご相談させていただいた方とかはご活躍されていて、それはロールモデルではないかとは思うんですけど、まあ、ロールモデルというのは、当然、ひとつではないので、たくさん事例があったほうが好ましいとは思っています。こういうことでもできるんだったら、僕もできるんじゃないかとか、そういうのが少しでも多いほうがいいかなって。希望を持って生きられる。それがやっぱり一番大事だとは思うんで、それが、こういう場があればいいなっていうふうに思ってます。
病気や障害をもちながら研究者をめざす人たちにメッセージをお願いします
矢田博士:やっぱり、なんか落ち込むことだらけだとは思うんですよね。まだこうなるのかとか、そういう、なんか落ち込むこととか多いと思うんですけど、やっぱり、助けてくれる人とかは世の中にはいますし、捨てる神あれば拾う神じゃないんですけど、何かしら助けてくれる人はいるので、そういう人たちと協力しながら、足りないところを補って進めていけるような、進めていけるというか、障害とかがある、病気とかがある人でも頑張っていけるような社会を、やっぱり、つくっていきたいですよね。その辺をつくっていくために、やっぱり僕らも頑張んないといけないなとは思うので、みんなで頑張っていきたいと思います。
インタビュアー:理工系であるがゆえの大変さというか、というのが何かあるというふうにお感じでしたら、そのことちょっとお伺いしたいと思うんですけれども。
矢田博士:えっと、特にその意味での大変さって、そこまでは多くはないとは思います。つまり、例えば、多くの肉体労働が必要とか、そういうことではない部分も多いので、そういった意味では、チャンスがあるというか、チャンスはあると信じてはいるんですけど、そういうことなんじゃないかってふうに逆に思っています。
何か適切な補助、アシストがあれば、すごい力を持ってる人はたくさんいると思います。それは、特に障害、いわゆる障害とかっていうものに限らなくて、何に関してもそうだと思うので、障害っていうものを、ことさら、なんか、特別なディスアドバンテージ、特別なものとして扱わずに、少し配慮してあげる、少し補助をしてあげることによって、やっぱりみんなの力を合わせてやっていくことが、これからは絶対必要だと思うので、そういう社会にみんなでしていけたらというふうに思います。していけたらというか、していただきたいというか、ですね。はい。みんなでしていきましょうというのが正しいかと、すいません、はい。