Disabled in STEMM
加瀬仁人氏インタビュー 字幕テキスト
ご自身の障害と小学校から高校までのことをお話しいただけますか?
加瀬氏:私の障害は、骨形成不全症という病気で、先天性のものになります。普段の生活はですね、車いすを使用して生活をしております。今も、その中でですね、ひとり暮らしを行いながら会社に勤めておりますが、特に支援等は必要ない生活をしております。骨形成不全症という病気はですね、生まれつき骨が弱いといった病気になります。骨の成長もそれに伴って遅いといったところもありまして、身長のほうもそんな大きくなくですね、自分自身、110とか、110ちょっとぐらいの身長になっています。病気の特徴としてはですね、やはり、非常に骨が弱いといったところがありますので、骨折というものが非常に多いといったところで、現在、私で、大小含めまして、やっぱり50カ所ぐらいは骨折をしてるかなといった経験があります。
小学校はですね、基本的には町の小学校、公立の小学校のほうに通っておりました。で、やはりですね、この病気のせいでですね、非常にけがの回数が多かったので、けがをするとそのたびに入院をするといったことがありましたので、そこでは養護学校に行くといったところもありました。ですので、小学校においては、トータルでいくと、2年分ぐらいは養護学校にいたのかなと。当時は「養護学校」という言葉でした。中学になりますと、だんだん、けがの回数も少なくなってきましたので、地元の公立中学校に進んで、高校受験を普通に行って、地元の高校に通うといったことになりました。
インタビュアー:そういう小中高の段階では、どのような配慮を学校側にお願いしたりされてましたか。
加瀬氏:そうですね、小中高はですね、正直、自分たちの年代に関しましては、まだ「配慮」というような言葉、なかなか進んでないというのが現状でですね、かなり入学前の審査みたいなもので厳しいものがあったかなというふうには感じています。唯一ですね、私のほうとしてはですね、当時はまだ学校のトイレは和便が多かったですので、和便を洋便にしてくれという形で、洋便対応という形のものをお願いした覚えがあります。それ以外に関しましては、ほとんど何も設備がないようなところで、階段はみんなで車いすを抱えて上るといったような、そういった経験をずっとしております。自分の場合はですね、ずっと地元の幼稚園、小学校、中学校といったところで通っておりましたので、非常に友達に恵まれていたといったところがありまして、周りの仲間がですね、もう疑問に感じることなく、車いすの手伝いをやってくれてた、というのが現状です。
大学進学にあたって車いすの利用者であることがどのように影響しましたか?
加瀬氏:自分が、私が高校時代に進学を決めまして、学校側と話をしてですね、まずは大学説明会のほうに行ってこいということで、大学説明会のほうに何度か足を運んでですね、本人が行けば車いすというのが分かりますので、その条件で入学できるかと話をした経験があります。その中で、やはり当時、まだ1990年代ですね、大学側のほうもですね、入学は厳しいというのをストレートに言うのが通例でしたので、「この大学は駄目なんだ」、「この大学は行けるんだ。だけど遠いなあ」とかですね、そういうのを思いながらですね、まず学校説明会のほうに行っては、相手の大学側と話をしてきたといったところになります。ですので、なかなか、自分の進みたい学問というか学部というのと、受け入れ体制があるかといったところでのマッチングというのは、ちょっと苦労したかなっていったところはあります。
自分のほうとしてはですね、やっぱり国立大学のほうに行きたいなということもありまして、国立大学、国公立大学ですね、入学を希望してたんですけども、当時はまだ、国公立大学でですね、建物が古いですとか、そういった理由もありまして、結構入学には難色を示すというのが、自分の印象ではあります。
インタビュアー:ご自身の学びたいと思っていらっしゃった分野といいますか、学部とか、そういったことは直接は関係ないですか。
加瀬氏:そうですね。正直、まだ自分が高校生だった時代はですね、100パーセントこれがやりたいというのはまだなかなかなくてですね、正直、そこが自分の障害がゆえなのかなと思う部分があるんですけども、まずは行けるところを探すといったところがですね、そこからがスタートでした。そこで、行けるところから、自分の興味のあるものを選んでいくといったような選択の仕方でしたね。
大学ではですね、私が専攻したのは芸術学部といったところになりますので、芸術学部の写真学科といったところになりまして、当時、そういったものに、ちょっとデザインとかそういったものに興味がありましたので、そちらのほうの受験をしてですね、合格をいたしまして、そこに通うことになりました。
インタビュアー:その領域で勉強していく上で、障害が問題になったことは全くなかったんですか。
加瀬氏:当時はですね、まだ、写真といってもですね、デジタルカメラではなく、フィルムでやってた時代ですので、暗室を使うといったようなことが、学校の中でありました。ですので、大学のほうがですね、入学にあたってということで、暗室での作業ができるかといったところで、一度かな、前もって大学のほうに行きまして、そういった設備面を見せていただいて、このようなことをするけどもどうだろうかという形で、大学側とお話をした覚えはあります。実際、見せていただいた上ではですね、学校側が心配していたようなことはなくですね、自分で大体できそうだといったところがありまして、実際、入ってみて、実習等でその暗室等を使うようになるんですけども、それにおいてもですね、特に問題もなく作業ができたといったところでした。
インタビュアー:実際に入って、授業を受けるようになられて、その中で、例えばほかのサポートが必要、ハード面での支援とか、あるいは、介助っていうような人的な支援とか、その辺はどうだったんでしょうか。
加瀬氏:当時ですね、私が通った1990年代というのはですね、まだまだ、ほんとに、バリアフリーのほうが進んでない状況でして、まず、学校に行くというのが、ひとつ、ハードルが非常に高かった時代です。ですので、毎日電車で通ってたんですけども、最寄り駅にエレベーターがないホームでしたので、何時に乗るということを駅員さんに伝えてですね、駅員さんが受け付けてはくれるんですけども、大きな駅ではなかったので、駅員さん1人しかいないようなところでしたので、正直、毎日のように、そこら辺に一緒に乗ってる乗客の人にですね、手伝ってもらって、通学をしていたといった状況でした。大学側もその状況は分かっててですね、手伝おうかということだったんですけども、私のほうも、それでうまくいってたものですから、特段、大学側のほうにお願いをして、誰か人を出してもらうということはしてませんでした。とにかく通学はすごく大変だったというのは印象に残ってます。
就職に際して苦労されたことはありましたか?
加瀬氏:就職活動のほうはですね、ちょうど私が卒業したのが2000年ということになりまして、この2000年が、いわゆる世間一般でいう就職氷河期といった時代になりました。当時ですね、大学の先生のほうからご紹介いただいたところもですね、かなり厳しいといった状況になりまして、そこがもう使えないといったところで、一般的な就職活動を行ってですね、就職をしたといったところになります。
インタビュアー:障害者雇用枠と一般枠っていうのがあるということで、そこについてご自身的には[どのように考えましたか]?
加瀬氏:正直ですね、就職活動する上においてですね、若気の至りというんですかね、自分が障害者枠で雇われるということに対して、正直、抵抗があったのが事実です。昔から「同一賃金、同一労働」というのを考えていましたので、十分働けるんだからっていったところで、正直、障害者雇用という形の雇用というのは考えてなくてですね、一般企業のほうに、普通にエントリーシートに書いて、普通に受験に行くといったことをしておりました。
インタビュアー:どちらかというと、ご自身の矜持というかプライドというか。
加瀬氏:そうですね。何なんでしょうね。当時はそういうふうに思ってた部分があるみたいで、世の中の仕組みが分かってなかった部分もあるんでしょう。最終的には障害者雇用という形の枠には入るんでしょうけども、とにかく、普通に就職活動を行っていたといった形になります。
インタビュアー:もうちょっと、その当時のご苦労とか、反応っていうんですかね、受けられた時にどんな反応があったかとか、その辺のこともちょっと聞かせていただけますか。
加瀬氏:はい。就職活動もですね、ほんとに、結構、自分自身はうまくいったんじゃないのかなと思ってるんですよ。実際受けたのが、3社ぐらいしか受けてなくてですね。2社は、もうほんとにエントリーシートに書いて、もうその場で受けにいって、特にエントリーシートに車椅子であるというのを書く必要はなかったので、そのまま受けてましたけども、理由は分かんないですけど落ちているんですね。で、受けたあと1社がですね、別にそういうこと関係ない会社でしたので、採用していただいたといった状況になります。
インタビュアー:前もって、例えば、同じような障害を持ってる車椅子の方が働いていそうだとか、そういうような下調べ的なことをされてということではない、ということですかね。
加瀬氏:そうですね。ほんと若気の至りなんでしょうね。全くそういうことを気にせずに受けてました。正直ですね、合否が[出るのに]とても時間かかったんですよ。「友達はもう来てるのに、俺には来てないなあ」っていったところで、会社側のほうに、恐る恐る連絡をしたんですよ。そうすると、ちょっとそこの条件のところで迷ってるといったところがあったみたいですので、「会って話をしましょう」ということになりまして、会って話をしたということになります。
インタビュアー:ということは、ご自身のほうからお電話をかけられたということで、それがきっかけになって、「じゃあ、事前に話しましょう」ということになったということなんですね。それで、話して、向こうが安心してくれたみたいなことですか。
加瀬氏:そうですね。正直、やっぱり、学生時代の就職活動ですので、ここが駄目なら次に行かなくちゃいけないという焦りもありますので、駄目なら駄目って言ってほしかったんですね。ですので、そこはちょっと、会社側のほうに言ってですね、「いかがですかね」というところで、お話をさせていただきました。
インタビュアー:では、特に入った後に、ここをこう変えてほしいとか、何かしてほしいとかっていうような要望を、ご自身のほうから会社のほうにされたことっていうのは、あんまりなかったということでしょうか。
加瀬氏:そうですね、なかったですね。先ほどもちょっと言いましたけども、やはり、「同一労働」ということを自分の中に決めておりましたので、とにかくみんなと同じことがしたいんだと、みんなと同じように仕事をさせてくれと、特別な配慮はいらんというところをですね、若かったんでしょうかね、言ってですね、まあ正直、やってました。
その後の転職の理由と転職活動の経験についてお聞かせ下さい
インタビュアー:そちらの[最初に就職した]会社は8年とおっしゃいましたかしら?
加瀬氏:その会社は13年ほど勤めております。
インタビュアー:13年間勤められて。その後の転職とかは、どういう理由で?
加瀬氏:転職したのはですね、私、その前職の中でですね、非常にユニバーサルデザインというものに興味を持ちまして、たまたま、関連会社でそのようなことを先駆的に取り組んでる会社がありましたんで、そこでいろんなことをさせていただいてる間にですね、こういうことをもうちょっと突き詰めていきたいなというふうに思いまして、ちょっと、ここの職場ではこれ以上は難しいかなと思いましたので、今の会社のほうに転職という形で、させてもらいました。
社会人になって、いろんなものが分かってくるようになってですね、大学時代とはまたちょっとうって変わってですね、就職活動を行う時にはですね、障害者雇用をやっている会社の企業説明会というものが、福岡のほうで開催がありましたので、それのほうに参加をしてですね、私が行きたい会社がそこにありましたので、ずばりで、行って、このような業務がしたいといった形で、就職活動を行っていきました。
インタビュアー:先ほど、若気の至りだった時代と、そこから社会を学んでというか、そういうふうに、その時の何だか心境の変化というか、障害者雇用枠で入ることについて、その説明会に行こうと思われたっていう、ちょっときっかけというか、分かれば教えていただきたいです。
加瀬氏:そうですね。やはり転職をする前にですね、職安などに相談に行ってですね、どのような転職の仕方があるのかという形で、相談をさせてもらった時にはですね、自分の記録が残ってるんですね、どこの会社に勤めているっていうことがですね。どのような雇用状況であるっていうことも、記録に残ってたんですね。それを見た時にですね、やっぱり自分が、何ていうのかな、障害者枠っていう枠から超えることはないんだなというところを感じたのも事実ですね。それがいいか悪いかっていうのは、もう本人次第の、僕は、話だと思ってるんですけども。若い時はそれがちょっと受け入れられなかった部分はあるんですけども、今となればもうその枠なんだなっていったところで、特に抵抗もなくですね、そしたら、この枠の中でできることをやっていこうといったところで考えております。
インタビュアー:その枠から出られないんだなっておっしゃったということは、例えば、昇進とか、お給料の額とか、そういうところでやっぱり健常者の人たちと違うふうに、一般雇用枠の方と違えられてるというふうに感じられたということなんですね。
加瀬氏:いえいえ、そういうのは全く、逆になかったんですよ。お給料も普通の方と一緒に頂いてたし。特に出世っていうのはなかったんですけども。普通どおり、皆さんとお給料面も昇給面も[違いが]なかったからですね、何か自分に、そういった枠の中にいるんだっていうような意識は、逆になかったんですね。だから、逆に、職安なんか行って、自分の名前で調べてみるとその枠なんだ、っていうところだけでしたね。
その障害者枠っていう、職安的なシステムの中に入って検索をしていくと、やはり、非常に、自分が働きたいことと、やれることとやりたいことのはざまっていうのは、すごくあると思うんですね。ですので、自分はそれが嫌だったのかなとは思ってます。だから、そこの枠にとらわれたくなかったのかなと。でも、まあ、一般的に、普通に就職活動等を行っていけば、十分その殻を破るというかですね、ということもできるんだなというふうには思っておりますね。
今の時代に障害者として企業で働くことについてのお考えをお聞かせください
加瀬氏:今、私、たまたま大学も卒業しておりますので、障害者の求人を見ると、やはり大学卒業を求める企業っていうのは非常に多いっていうのは、現実としては認識はしてます。ですので、大学をきちんと出て、企業が求める人材になっておけば、十分チャンスはあるんじゃないのかなというふうには思っております。私のように、障害者であっても、第一線で働かせてくれという形で望んでいくこともできるようになりましたし、十分パフォーマンスもできるようになってますので、そういう意味では、今は、引く手あまたというと語弊があるかもしれませんけども、条件としては、やっぱり、ある程度、四大卒のちゃんと仕事をするといったところでは、いいほうに向いてるのかなというふうには思います。ですから、ちょっと、そこの中で、障害者枠っていうものの受け入れに関してはですね、心理的な部分は除けば、時代なんだなっていうふうには思いましたね。
僕が、10年前かな、ちょっと用事があって学校に行った時にはですね、あの苦労した駅もですね、全部エレベーターができてたことには、正直、感動しました。時代は進んでるなっていうのは感じましたね。
インタビュアー:そういう意味ではほんとに良くなってきてると思うんですけれども、いま、障害を持って大学に進もうと思ってる高校生ぐらいの方、あるいは就職しようと思ってる障害を持つ学生さんとかに、こういうことをアドバイスみたいな、何かありましたら、メッセージとか教えていただければと思うんですけど。
加瀬氏:はい。ぜひですね、社会に出て、ばりばり仕事をしてほしいなというふうに思ってます。しっかりとですね、今は交渉すれば話は聞いてくれる時代ですので、しっかりと自分の意見を持ってですね、話をして、自分がこうだからといったところはちゃんと主張はするべきだと思います。自分ら、古い障害者というか、この昭和の障害者はですね、割とそこを努力しようとするんですね。今はもう、社会的にそこは認められてきたので、どんどん、自分たちで積極的に意見を出して、これが必要なんだ、こうしてほしいんだっていうことを言って、それを聞いてくれる社会ですので、臆することなくですね、大学にも行ってほしいし、就職もしてほしいし、ばりばり働いてほしいなというふうに思います。