Disabled in STEMM

ヘザー・ニューウェル博士インタビュー 日本語字幕

診断までの経緯を教えてください

ニューウェル博士:女性が成人した後にADHDと診断される傾向にあることは、興味深いことです。私は大学教授で、世間的に見れば能力の高い人間です。女の子は多動症の症状が少ないので、あまり他人に迷惑をかけません。幼い頃から、人前では本音を隠して、いい子でいるように教え込まれています。自分が困難を抱えていることを隠すためのスキルを身につけていくのです。ですから、多くの女性は成人してからADHDの診断を受けるのです。いよいよ手に負えなくなって、隠しきれなくなるんですね。

私は、学校教育をすべて終え、博士号を取得してから、何年も働いて働いて、終身在職権を得ました。母語ではないフランス語で教えています。ご想像つくでしょう。母語ではない環境で暮らすのは何かと大変です。そのうちに、強くストレスを感じるようになり、対処するのが難しくなりました。それで医者に行き、終身在職権が得られた後になって、3ヶ月休みを取りました。その前ではなくてね。実は、その何年も前からADHD専門の心理士に診てもらい、検査を勧められていたのですが、実際に検査を受けて、はっきりADHDという診断を受けました。

診断がついたことでよかったことはありますか?

ニューウェル博士:よく言われるのが、「ああADHDね、それって本当に問題なの?」ということです。ストレスを感じて疲れるのは、ADHDに限らず、誰でも共通の問題ではないか、と。確かに、皆ストレスを抱え、働き過ぎで疲弊します。でも、神経多様性のある人にとって、ストレスへの対処は通常よりもっと難しく、積み重なると、衰弱してしまうこともあります。

私が3年前に診断されたのは、40代も半ばになってからで、人から「これが助けになるのでは?」と提案されたからです。以来、ADHDに的を絞った心理療法を受けていて、それが役に立っています。もちろん、薬物療法も効果的です。ADHDの薬には、種類がいろいろあります。精神刺激剤もそうでないものもあります。私は1種類試してみて、多くの服用者と同じような効果を得ました。服用するとかなり早く効果が出て、「ああ、他の人達はみんなこのように考えているのか」とわかるようになりました。具体的にどんな効果かというと、診断を受ける前は、午前中から働けませんでした。仕事をするための準備を整えるのに、とても時間がかかるからです。そのことは人生全体に影響するんです。なぜなら、昼過ぎにようやく仕事にとりかかるのでは、友人から夕食に誘われても、仕事が終わっていないので、断らざるを得ません。そうやって何かと機会を逃してしまうのです。

また、あまりこのことには触れられませんが、ADHDの人は感情のコントロールが難しくて、衝動性の側面で、過敏に反応してしまう。だから、物事がうまくいかない時は大変です。逆にうまくいった時は、極端に喜んでしまう。その点では、双極性障害と症状的に重なります。服薬すれば、外部環境に対して、より落ち着いて反応できます。ADHDは、やるべき事を終わらせられなかったり、終わらせてもぎりぎりになってしまったりして、罪悪感にさいなまれることが多々あるのです。でも、服薬すれば、集中力が高まって、仕事ができる。さらに、自分自身を許す心のゆとりができます。やるべき事が終わらなくても自分を許せる。だから、負のスパイラルに陥らないのです。たとえば、運動を毎朝やっていて、ある朝休んでも、多くの人は、今朝はできなかったと感じるだけです。でも、ADHDの人は、一回のミスにとらわれて、出来なかった事が気になって、全部やめてしまいます。完璧にこなせないともう無理と思ってしまうことは、あらゆる種類のタスクで起こります。服薬は、そういった極端な偏りを抑えてくれるのです。

ADHDがキャリアに及ぼした影響について教えてください

ニューウェル博士: 私は、言語学者で、理論音韻学者です。言語における音のパターンを研究していて、特に音韻論、つまり、音のシステムと、と形態統語論、単語や文を結び付けるシステムの接点が専門です。これは認知科学の一つの領域でもあります。私の仕事では、データを詳しく分析し、言語の基礎パターンを認識する能力を必要とします。これがADHDの人間にとっては興味深いのです。先ほど、ADHDの注意欠如について話しました。一般的に、それは集中力の欠如と思われていますが、実際には、集中力の調整ができないことなのです。ときによっては、生死に関わる問題であっても集中できない事もあるし、とてつもなく集中してしまう時もあります。興味がある事には過集中がはたらきます。このことが、小さなパターンの発見に時間を費やす仕事には役に立つのです。過集中には、多大なマイナス面もあります。でも、私自身のアカデミアのキャリアを振り返ると、自分の好きな事に集中できるのが魅力だったことがわかります。その意味では、必ずしも言語学者である必要はありませんでした。パズルが好きなので、細かなディテールを観察して、パズルの答えを見つけ出すような仕事なら、どんな分野でもよかったのです。

でも、学問の世界を選んだのは、たいていの場合、非常に柔軟にスケジュールを組むことができるから。9時から5時の仕事ではありませんし、出勤時間も退勤時間も気にする事なく、自分で勤務時間を決めることができます。そして、注意力の問題や細部にこだわりがある人に都合のいいことに、遅刻しようが、まる1日仕事せずに過ごそうが、誰も気づかない。他の人が1週間かける仕事を2日で仕上げて、残りの5日は集中できないでいるかもしれない。学問の世界は、そのあたりの融通が利きます。といっても、授業や会議があれば出勤しなくてはなりませんし、事務仕事もありますので、そういったものが私の悩みの種です。セラピ―も服薬もすべて役に立ちますが、根本の問題が消える訳ではありません。博士課程の学生の時には、事務仕事はなくて、決められた時間内に面白い研究結果を出すことを求められるだけでした。学問の世界は、神経多様性のある人にとっては、本当にありがたいところです。成績が良く、学校が好きでなくてはなりませんが、他の分野の神経多様性の人達も、芸術などの領域で同じような経験をしているようです。そこなら、朝9時にいなくても怒られないですからね。

ADHDの人が「ギフテッド」と呼ばれることについてどう思いますか?

ニューウェル博士:自閉症やADHDには、魔法のような精神的能力があるという思い込みがありますね。確かに、ちょっとした魔法のように感じられるかもしれません。でも、『レインマン』という映画を見ても、レインマンになりたい人はいないでしょう。「ああすごいな」と思うかもしれませんが、神経多様性の残りの悪い面を考えると、ごく普通に仕事ができるほうがいいと思います。でも、私にADHDの過集中の面があってよかった。注意欠如な部分しかなかったら、ちっとも仕事が片付きませんから。二つの面を持っていなくてはならないが、どちらの面もよくはない。ただ片方の面がちょっと面白くて、生産性があるだけなのです。

インタビュアー:この議論は、スティグマの裏返しのようで、非常に興味深い。ADHDの人をギフテッドと呼び始めた人達は、企業や研究機関にとって資産であると言っています。

ニューウェル博士:それはアウトプットだけを焦点にした議論です。資本主義の影響力が入ってくるわけです。ADHDや自閉症のどこが他人にとって有用なのか。当然、ある面では有用ではありますよ。例えば、誰かから、「初めて見る言語についての課題をこの週末中に解きなさい。資料は全て揃っている」と言われたとします。私は、2日間で答えを出すのは、他の人よりも得意です。でも、それは他の人にとっての利点であって、自分にとっての利点ではありません。ここには、スティグマと偏見が入り混じっています。私たちは、障害というと、まずその人にできないことを考えますが、それは外から見て、できないとわかることだけです。ですが、神経系の問題の多くは他人から見えません。まさに障害となっている部分は誰にも見えない。他人には、注意散漫なときのあなたや、たった2日ですごいことをやってのけるあなたしか見えません。でも、こうした問題を抱える人たちにとっては、実際の日々の生活が大変なのです。常にいくつもの問題を必死でやりくりしながら、自分の生活が崩壊しないようにしているのです。だから、助けが必要なのです。これは慢性的なものなのです。

ADHDは「障害」でしょうか? それとも「個性」でしょうか?

インタビュアー:神経多様性のある人の中には、それは差異であって、障害(disability)と呼ばれたくない人もいます。でも、あなたは障害と呼ぶべきであって、マイナス面もあると思われるのですね?

ニューウェル博士:異なる能力(different ability)があると言いましょうか。そもそも、障害/能力の欠損(disability)とは、状況により相対的なものです。例えば、下肢欠損は必ずしも障害とは限りません。無重力の中であれば、有利かもしれません。私は物理学者ではないのでわかりませんが。ADHDが問題となってくるのは、社会では、規範によって決められたスケジュールで成果を出す必要があるからです。それって、企業の利益のためで、人間のためではないですよね。なぜ皆が同じ時間帯に同じ仕事をするのでしょう。人間のためではありません。誰もが同じように働けと言われる中で、私はそうはしませんと言うのは難しい。でも、その根底にあるのは欺瞞です。確かに、人は、誰かと一緒に何かをするのが好きです。あなたも社会学者ならおわかりでしょうが、人は集団行動やコミュニティが好きです。でも、スケジュールが組まれるのは、たいていは何かを生産するためです。何を売れるのか? 何を作れるのか? では、ADHDは障害なのか? 現在の社会構造では、イエスです。でも、より広い観点に立てば、それは異なる能力がある(differently abled)というだけです。もちろん、やるのが難しいこともあります。得意不得意があるので、中には、ただの障害だけという部分もあるわけです。整理整頓ができない、集中できない、興奮したり動揺したりする。そういった事は、当然役には立たないですが、しかし、たいていの場合、他の人と同じスケジュールで生産できないことを、障害と言っています。それは、本当に障害と呼ぶべきでしょうか。

若いADHDの研究者にアドバイスはありますか?

ニューウェル博士:私の知る限り、私の大学やカナダのあらゆる大学で、学生向けの障害者支援部署があります。大がかりな仕組みが出来上がっていて、診断がついている学生であれば、誰でも相談できます。毎学期の初め、私のところに支援担当部署から、配慮が必要な学生についてのメールが届きます。配慮というのは、講義の録音、試験時間の延長、静かな環境で試験を受けさせる、校正をサポートする、といった事です。学生のための配慮を提供するシステムがあるのです。学部生レベルでは、よく機能していると思います。ただ、大学院生は、就職を控えているので、推薦状が欲しいとか、有能だと思われたいという理由で、支援を求めてはいけないというプレッシャーがあるように感じます。

インタビュアー:若手の研究者で、就職の際にADHDと伝えたら雇ってもらえないのではと心配している人に、何かアドバイスはありませんか?

ニューウェル博士:状況にもよるので、一律なアドバイスは難しいですが、もし大学に特別なニーズを持つ人の支援部署が何か用意されているなら、相談しに行ってください。誰かに話してください。それが大学の公式部署なら最高だし、友達でもいい。とにかく誰かに話してください。主治医でも。自分だけで乗り越えようとはしないでください。なぜなら、ストレスが極限に達してからでは、いろんな問題に対処できなくなってしまうからです。もし簡単に利用できるなら、助けを求めてください。簡単にはできない場合は、友達に相談してください。あなたを愛している人たちですから。教授陣の中でサポートしてくれそうな人がいれば、誰でもいいので誰かに知ってもらって、「今週は本当に大変なんだ」と言えるだけでもいいんです。誰にでもこういう話ができたらいいんですが、なかなか難しく、万能の解決策というのはありません。だからこそ、私はいまこのインタビューを受けているのです。