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イリヤ・スモレンスキー博士インタビュー 字幕テキスト

ご自身についてお話しください

スモレンスキー博士:私はイリヤ・スモレンスキーです。ロシア人です。スイスのバーゼルの大学でポスドク[注:博士研究員]をしています。生まれつき脳性まひがあります。これは生まれた時の合併症によるものです。私には双子の兄がいるんですが、自分の障害についていろいろ調べたところ、双子や多胎妊娠は脳性まひのリスクファクターになるようです。へその緒が絡まって、低酸素性脳症と呼ばれる症状を引き起こしました。脳に十分な酸素が行き渡らず、脳が損傷をうけるというものです。脳性まひの患者の3分の1から2分の1は、認知障害もあるそうです。自分にそうした障害が残らなかったのは、非常に幸運だと思っています。私の場合、認知機能には何も問題がありません。そのことは、家族に向かって言葉を発し始めた幼児期に明らかになりました。

もう一つ大事なのは、私が生まれたのは1990年で、旧ソビエト連邦が崩壊する1年前のことだったということです。国全体がかなり大変な時期でしたが、幸運なことに祖父が大学教授だったので、家にお金があり、医者や治療法にもさまざまな選択肢がありました。そういう意味で、私は同様の障害をもつ多くの人よりも幸運です。だから今、こうして自分の経験について語ることで、私ほど幸運ではなかった人を励ましたいのです。

障害が日常生活に影響することがありますか?

スモレンスキー博士:私は、おそらく、脳性まひの患者の中で、症状がかなり軽いほうだと思います。でも、初めからそうだったわけではなく、ここまでよくなるのは大変だったのです。診断名は痙直型ダイプレジアです。これは四肢のうちの二つにまひがあることを指し、私の場合、主に左腕と右足にあって、対称性があります。まあまあ普通に歩くことができます。完全ではないですが、杖などの支えや車椅子は使う必要はありません。あまり長くは歩けなくて、いつも1時間ほど歩くと右足が痛くなります。でも、日常生活では問題はありません。むしろ手のほうが厄介ですね。左手のほうが右手より障害が重いです。手先が器用ではありませんし、特に、緊張したときに手が震えます。人前で話すとき、特に、多くの人に向けた講演では、緊張のために悪循環が起きます。どんどん緊張して手の震えがひどくなり、それが気になってひどくなるという悪循環です。だから、あれはできないですね、ええと、縫い物みたいなことはできません。それが本当に必要になったことはないですけどね。でも、あきらめなければならなかったこと、挑戦するのをやめてしまったこともあります。料理や家事など、普段の生活の基本的なものは、多かれ少なかれ問題ありません。

でも、今でも残念なのは、音楽です。私の家族はとても音楽的で、両親はピアノとギターを弾きます。10代の頃はギターを弾く友達がたくさんいて、周囲にいつも音楽がありました。私たちの脳というのは、不思議なもので、手に入らないものをいつも欲しがります。多くの人々が楽器を演奏しませんが、別に演奏したいと思っていない人には問題ありません。しかし、人は何かができないと思うと、それをやりたくなるものなのです。20歳くらいの頃だったと思いますが、手を使う必要が一切ないハーモニカを始めて、この楽器なら私にとって何も制限もないことがわかりました。ですから、すべての障害者にとって、他の人たちと対等な立場でいられる場所や、やれることを見つけることは大切だと思います。自分の限界が限界ではなくなる場所です。そのようなものがないと孤独になります。

理工系領域でのキャリアに障害が影響したことはありますか?

スモレンスキー博士:大学で生物学の勉強を始めてまもなく、手がうまく使えないのは問題だということがわかりました。例えば、鳥を観察するような動物学者になりたいのだとしても、大学を卒業するには、生化学や遺伝学など、必要な単位を取らないといけません。これらにはどれも、ピペットや試験管、実験機器などの操作が必要です。大学1年生の時に、化学の授業がいくつかありました。最初のうちは、2人1組で作業するので、何とか自分でやらずに済んでいました。同僚やクラスメートが、試験管やピペットを使う実験作業をすべてやってくれました。ただ、1年の終わりに、ロシアのはるか北の白海の夏季実習で、動物学と植物学の授業があり、そこでは、昆虫や小動物、虫や軟体動物などを研究しました。それらをシャーレという容器に入れて、顕微鏡で観察するのです。それはそれまでの化学実験と違って、そんなに難しい作業と思っていなかったのですが、でも、まさにその瞬間、私の震える手が、私のキャリアや大学での研究において、深刻な問題になることに気づかされたのです。家から遠く離れた島での実習のことでしたから、非常に辛い思いをしました。

大学2年生の時に、私はある研究室で、ラットモデルのうつ病の研究を始めました。私のキャリアのほとんどで、マウスとラットを扱ってきました。この分野は、トランスレーショナル精神医学と呼ばれています。「トランスレーショナル」とは、動物モデルで得られた知識を、臨床やヒトの患者のために変換することを意味します。薬の開発と同様に、まず動物で実験し、次に人間の患者で臨床試験を行います。私のうつ病の研究は、まずラットから始まり、今はマウスでやっています。研究のために、マウスがうつ病になっていることをどうにかして判定しなければなりません。それをマウスの行動から推察するのです。行動を研究すること自体は、それほど難しい手作業を要しません。マウスを迷路や機器に入れて、その行動を分析するだけですから。

ここ、バーゼル大学の採用面接に来たとき、これまでのプロジェクトについて話しました。ロシアですでに博士号を取得していたので、博士課程のプロジェクトについて話しました。[教授と]理論について話し、仕事のために十分な知識があることをアピールしました。面接の終わりのほうで、教授が私にとても興味を持ってくれたと感じたとき、「実は私にはできないことがあるんです、と打ち明けました。「行動についての実験はできますが、他にできないこともあります」と話しました。すると、どうやら私の知識と専門性には十分に価値があると認められたようで、行動実験のために私は採用され、できないことは実験助手を雇ってやってもらうことになりました。私ができないことを手伝ってもらうために、わざわざ実験助手を雇ってくれたのです。もちろん、そのことで私は、自分には価値があると感じることができました。私のために別のスタッフを雇うだけの価値があると認められたわけですから。

結局のところ、私は「ニッチ[注:生態学的地位]」、つまり、障害があるにも関わらず実験ができる 自分の居場所を見つけることができたのです。唯一無二とは言いませんが、価値ある専門知識を身に着けることで、形勢を逆転できました。[障害のある]私にもできそうな、おこぼれのような仕事ではなく、私にだけできて他の人にはできないことをやるようになれたのです。重要なのは、自分自身をユニークな専門家にすることができるかどうかです。他の人が知らないことやできないことを知り、学ぶことで価値ある存在になることです。

学当局に対して合理的配慮を求めたことはありますか?

スモレンスキー博士:私は症状が軽く、特別な介助が要らないので、それほど必要性を感じていませんでした。もし[ロシアの]大学に障害者支援の制度がすでに存在していたら、こちらから求めなくても向こうから私たちに手を差し伸べてくれていたら、西側の大学ではそうなのだと思いますが、私も相談して援助を求めたかもしれません。でも、自分から最初の一歩を踏み出すほどの必要性は 感じていませんでした。私のように症状が軽い場合、[困りごとは]重度の障害を持つ人と同じではありません。何かをするのに楽とか大変とかいうことでは、誰にだって難しいことはありますよね。私の場合、一見しただけでは障害が明らかではありません。遠くから見ているだけでは、私が障害を持っていることすらわからないかもしれません。さらに、その程度の障害なら、それをあえて強調することで目立ちたくはないのです。例えば、車椅子に乗っている人なら、健康の問題があることは明らかです。そういう場合は、助けが必要なことは明らかです。でも、私の場合、やはり恥ずかしい気持ちがあります。自ら求めて声を上げなければ、群衆の中に紛れて、周りの人と同じでいられるからです。私が何を言っているかわかりますか? 大きな声を出さなければ、他の人と同じに見える。「普通」という言葉は使いたくありませんが、「普通」でいられるんです。考え方はそれぞれですから、違った考えを持つ人もいるでしょうが、自分の状態や障害が明白なものであれば、助けを求める方が簡単で自然かもしれません。無理に健康で正常なふりをして、他の人と同じであろうとするよりもね。お分かりいただけると思いますが、軽度の障害がより重い障害よりも楽だとは限らないのです。なぜなら、 あなたは他の人たちと自分を比較し始めるからです。一見してわかりやすい障害ではないからこそ、自分の障害を隠そうとしてしまいます。その結果、本来なら助けを求められるはずなのに、それをしないままになってしまうのです。

障害のある若い研究者にアドバイスをお願いします

スモレンスキー博士:いま、このトピックについては、非常に活発な議論がかわされています。学会ではこのトピックに特化したセッションがあり、科学雑誌にも特集記事や報告が載ってます。ツイッターにもアカウントがあり、ネット上にはこのインタビューのようなプロジェクトがあります。障害者支援の情報はたくさんあるし、支援プロジェクトもたくさんあると思います。ただ彼らと連絡を取って、役立つ情報を見つければいいのです。

また、私のように、オンラインやツイッターなどで自分の体験を語っている人は、たいてい自分の虚栄心からではなく、誰かを助け、励まそうと、そうしています。もちろん、私に連絡をしてもらって構いませんし、これは他の人にも言えることだと思います。自分の体験談をネットに載せているのは、たいてい、他の研究者や研究者になりたい若者を助けたいという気持ちからです。ですから、いつでも彼らに手紙を書いて、質問したりアドバイスを求めたりしていいんです。

また、私の経験から学んだことは、少し偏っているかもしれませんが、アカデミアの人々は一般的にいい人たちで、親身になって助けてくれました。もちろん、全員がそうではありませんが、間違いなく多くの人がそうです。ですから、あなたはただ彼らに歩み寄り、どうしたらいいか尋ねればいい。ただし、率直で正直でなければなりません。それは容易なことではなく、怖いことだったり恥ずかしいことだったりするでしょう。しかし、率直に向き合って、自分の状況を説明する以外に方法はありません。教授に連絡を取って、「こんにちは、XYZ先生。私はあなたの研究に非常に興味があり、情熱を抱いています。あなたの分野で研究をしたいという夢を持っています。私は、これこれのことをする方法を知っています。私は、これこれの分野の専門知識を持っています。何かアドバイスをいただけませんか?」と聞くのです。彼は、あなたを助けてくれたり、場合によっては雇ってくれたりする同僚を教えてくれるかもしれない。こなすべき仕事がたくさんあるので、障害があってもできる仕事が見つかるかもしれない。教授は、通常、多くの経験と経歴の持ち主で、システムがどのように機能するかをよく知っています。きっと多くのアドバイスをもらうことができるはずです。