Disabled in STEMM

ケルジー・バイアース博士インタビュー 字幕テキスト

ご自身のキャリアと障害についてお話しください

バイアース博士:私の肩書はグループリーダーで、これはイギリスでは一般に、主任研究員または助教にあたります。以前はイギリスのケンブリッジ大学で、その前はスイスのチューリッヒ大学で博士研究員をしていました。博士号はアメリカのワシントン大学で取得しましたが、アメリカでは修士課程がなかったので、6年の博士課程でした。現在、私のグループでは、植物と花粉を媒介する生き物の相互作用における花の香りの役割と、それが植物の生物多様性と顕花植物の種分化に及ぼす影響について研究しています。私は現在、ノリッジのジョン・イネス・センター[注:植物と微生物に関する研究所]を拠点にしています。

私は関節可動亢進型エーラス・ダンロス症候群という遺伝性疾患を患っています。関節の脱臼や慢性疼痛と慢性疲労を伴います。これが体位性頻脈症候群(POTS)という症状を引き起こし、血圧や脈拍が安定しないため、気が遠くなったり、疲労を感じたりすることがあります。ナルコレプシーもあって、すぐに眠りに落ちてしまうので、セミナーや学会に参加した際にとても恥ずかしい思いをすることがあります。最後に、一番厄介なのが、ADHD(注意欠如多動症)で、いわゆる実行機能に問題があります。タスクを計画するとか、何かを終わらせるとか、整理整頓するとか、スケジュールを守る、といったことです。以上が、私が今抱えている課題の全体像です。

インタビュアー:そういう疾患や症状は、エーラス・ダンロス症候群と関係があるのですか?

バイアース博士:そこははっきりしていません。POTSについては、確実にエーラス・ダンロス症候群と関連があるといわれています。ADHDも関係があるかもしれません。発症しやすくなる相関関係がある、という研究結果もあります。ナルコレプシーについては、相関関係があるとした研究を見たことはありません。でも、断定はできませんね。

インタビュアー:これらの障害について診断を受けたのはいつのことですか?

バイアース博士:それぞれ時期が違います。エーラス・ダンロスについては、大学院の時に診断を受けましたが、症状はずっと前からでした。POTSも、大学院時代に診断されました。何歳の時だったか、正確には覚えていませんが、発症時にかなり重症だったので、半年で診断がつきました。ADHDも、もちろん子供のころからあったと思いますが、診断を受けたのは35歳の時です。ナルコレプシーも子供時代からありましたが、最初のポスドクまで診断はついていませんでした。

キャリアに一番影響を及ぼしているのはどの障害ですか?

バイアース博士:よい質問ですね! おそらく一番はADHDでしょう。特に、科学のキャリアで立場が上になるほど、長期的な計画を立てることが増えるので、影響が大きいです。たとえば、日々の実験では問題はないのですが、助成金の申請書や論文を書くといった、より長期的なタスクを計画するのはずっと難しくなります。エーラス・ダンロス症候群とPOTSは、強い疲労感を生じやすいので、日々のことがとても難しくなります。また、ADHDへの対応のため、手帳に計画を書くようにしています。今週はこれをやろうとか書くのですが、でも、今日やろうと思っても、体調が悪くて先延ばしになってしまうことも多いですね。ですので、複合的に絡み合っていますね。

ナルコレプシーについては、今は私も十分わかっているし、よい治療もあって、前のように寝てしまわなくなりました。でも、会議の時に寝入ってしまったりするのは本当に恥ずかしいものです。とても尊敬している先生の話を聞きにいって居眠りしてしまったときなんて、もう本当に恥ずかしくて、気まずいことといったら……。

インタビュアー:診断はあなたにとって助けになりましたか? それともショックを受けましたか?

バイアース博士:素晴らしい質問ですね。診断はいつも助けになりました。なぜなら、常にどこかおかしいと感じていたからです。関節が痛かったり損傷していたり、血圧が不安定になったり、心臓がどきどきしたり、気分が散漫になったり、ものを散らかしてしまったり、居眠りしたり、そのせいで他の人たちと同じように行動できない自分が恥ずかしいと思ってしまっていましたが、病名がつけば、「これは態度の問題ではなく、病気による普通の症状なのです」と周囲にも説明できますし、私としても問題を特定できたことが大きな助けとなりました。

他人からどう見えているかということも以前は気がかりでしたが、今は自分のグループがあるので少し楽になりました。以前、パナマでのフィールドワークで、「もっと蝶を採集しておこう」という話になり、「いいじゃない! 私もぜひ行きたいわ」と言ったら、「君には無理だよ」と言われたんです。「本当に?」と聞くと、「1時間以上自然の中を歩かないといけないんだから」と返されたので、「じゃあ、私ができることはあるかしら」と聞くと、「川を渡る所まで連れて行こう。そこで、うまくすれば蝶を捕まえられるかも」と言われました。そこにはちょっと皮肉っぽいトーンがあって、「どうせ何も捕れないだろう」と思われていたんだと思います。でも、皆は蚊や虫に刺され、疲れ切って帰って来たのに、大勢でたった1頭の蝶しか捕れていませんでした。私はというと、川べりで腰掛けて、バードウォッチングしてランチを食べて、2頭の蝶を捕りました。

インタビュアー:皆があなたを置いて行ったのは、危険だと思われたからですか? 身体的に無理だと思われたからですか?

バイアース博士:この時は、おそらく私の身体的に無理と思われたのですが、アメリカのように文化的に訴訟が非常に多い国では、もし何かが起こって怪我をしたら、訴えられて非常に高くつくので、やらない、という反応がよくあります。アメリカでの大学院時代に[学部生に]教えようとした時に、「あなたに指導していただくわけにはいきません。危険すぎますから」と言われたことがあります。「でも、危険かどうかを判断するのは私では?」と私が言うと、「いえ、大学にとってのリスクなので」と言われました。

理工系領域のキャリアを諦めようと考えたことはありますか?

バイアース博士:むしろSTEMの道を進もうという気持ちが強くなりましたね。私の母も、私が幼いころ、10年ほど慢性疾患に悩まされていましたが、母も研究者でした。慢性疾患を持ちながらも、母は仕事を続けることができていました。研究室に長椅子を置いて横になれるようにしたり、家でも仕事ができるようにしていました。そんなフレキシブルな働き方でも、母は科学者として尊敬され、データを分析したり論文を書いたりして、仕事ができることを幸せに感じていました。私は子供のときにその様子を見ていましたから、ああいうフレキシブルな働き方をすれば私もキャリアを継続できそうだと思いました。もし、仕事がきっちり決まっている、9時から5時の仕事だったら、もっと大変だったでしょう。私がよりフレキシブルな仕事やキャリアを求めるのは、私のあとに続く人がもっと楽にその道を歩めるようにしたいという気持ちからです。絶対に失敗は許されないと思っています。なぜなら、私は後に続く障害者の人たちのために道を切り拓かなければならないからです。

アメリカで開かれる「進化」という名の会議の開催期間中に、コーヒータイムを設けて、障害者やろう者、慢性疾患の患者たちを招きましたが、当事者だけでなく、アライ[注:当事者でないサポーター]も参加できるようにしました。当初は、アライに来てもらう必要はあるのかな、と思っていましたが、何人かの学生が、「自分は指導教員に障害のことを話していないので、参加しにくい」といっていたのが、「アライにも開かれているのはすごくいいことです。本当は障害なんだけど、アライとして参加した、と説明できますから」と言われたので、そうしたんです。さらに、スラックというコミュニケーション・アプリ上にグループを作り、特に若い研究者がメンターとして貢献できる場を作ったところ、ブリティッシュコロンビア大学の大学院生で、私と同じ有機体を研究し、同じ遺伝性疾患を持つ学生と出会えました。こんなに相性のいい相手に出会えるなんて、すばらしいことです。さらに、英国生態学学会に働きかけて、アクセシビリティに関するグループを作るつもりです。

これまでどのように合理的配慮を得て来られたか教えてください

バイアース博士:これまでいろいろな配慮を受けてきましたが、その多くはインフォーマルなものでした。例えば、博士課程の時には、研究室に長椅子がありました。誰もがそこで寝ていました。指導教員やポスドクの人、私自身も何回も寝ました。それが当たり前のことで、誰も気にしませんでした。私のための特別な配慮ではなく、ただそこにあったものです。指導教官には、フレキシブルに働くことや、何日かは家で仕事をすることに合意してもらいました。

他には、建物にハード面での調整をしてもらっています。例えば、自動ドアは、手を振るだけでセンサーが反応して、ドアが開くようになっています。おかげで、重たい防火扉と格闘しなくてすみます。会議を設定するときも、部長の部屋は上の階にあって車椅子で移動することができないので、部長と会うときは別の部屋を取ってもらいます。同僚や事務の人も、「グループミーティングはあなたがアクセスできる部屋を予約しますね」と言ってくれます。大きなことではありませんが、とても、とても助かります。

インタビュアー:フィールドへ出る時には、どんな装具を着けて移動するのですか?

バイアース博士:関節保護装具を一番よく使いますね。手首と足首をテーピングして関節を保護し、脱臼しないようにします。ハイキング用のストックも使います。関節にかかる重さを分散させて、バランスを保ちます。転びそうになった時にも役立ちます。でも、一番大切な「道具」は、一緒に働く人とのコミュニケーションです。私にどんなことが起こり得るか、理解してもらうことです。具合が悪くなったらすぐに伝えて、座ったり、横になったり、ちょっと休憩させて、飲み物を飲ませて、と言えることが一番大事なことなのです。

インタビュアー:雑誌『Nature』の記事の中で、大学の障害学生・スタッフ対応部門について、「門番オフィス」と呼んでいましたね。どういう意味なのか説明していただけますか?

バイアース博士:アメリカの大学では、まず医師からの診断書(時には、決められた医師からの診断書)を求められます。それを担当オフィスに提出する必要があるんです。どんな障害があって、どういう配慮が必要だと医師が考えているか、詳しく書いてもらわないといけません。既に通院している場合は難しい依頼ではありませんが、それでも多くの医師は書きたがりません。学習障害(LD)などの場合、学生自身が何年も前から自分がそうだとわかっていても、医師から最新の診断書を得なくてはなりません。大学に対して、障害があると証明しなくてはならないのです。障害は変化しないのに、学生のときも、社会人になっても、何度も何度も同じことを証明しなくてはなりません。担当オフィスの人達は、本人の自己申告は受け付けず、医師からの証明が必要だといい、「医師の証明が得られましたので、配慮を受けることができるようになりました」というのです。障害への配慮は、他の誰かを傷つけるものではないのですから、本当にバカげています。配慮が学生に不公平な利益を与えることはありません。そのことでどんなトラブルが起きるのか思いもつきません。下半身麻痺なのに、毎回麻痺があることを証明させられている人も知っています。障害は変化しないのに、なぜそのようなことが必要なのか。誰かがオフィスに車椅子で現れたら、その人には車椅子が必要なのです。そのことをなぜ証明する必要があるのでしょうか。でも、繰り返しになりますが、手続きは法律に則って行われるものなので、大学は極めて厳密な手順を取り決めているのです。

障害のある若手研究者をとりまく環境を変えるにはどうしたらいいでしょうか?

バイアース博士:正直に言って、一番大きな障壁は、思い込みだと思います。障害を持つ人への哀れみの文化です。障害者には何もできないという思い込みがあるのです。本当は必要な調整さえあればできることなのに。この「できる」と「できない」で白黒を付けようとする考え方は、「調整すればできる」「できる時もある」といった考え方に置き換えていく必要があります。結局のところ、STEM領域のプロフェッショナルは、科学者だろうが、技術者やエンジニアだろうが、頭を使ってできることにお金をもらっているのです。手を使うことにお金をもらっているわけではない。私たちは、問題解決能力のために雇われたのであって、重さ25キロの箱を持ち運ぶためではない。必ずしも、耳で聞いたり口で話したりできなくてもいい。考えるために雇われているのですから。使い古された例ですが、スティーブン・ホーキング博士は、動き回ることができなくても論文を書いています。お金の対価は私達の思考力なのに、そうは思われていない。このキャリアで成功するには、一定の何かができなくてはならないと思われているんです。「できる」「できない」の二分法で捉えて、「ああ、かわいそう、障害があるから大成できないね」という態度が最大の問題なのです。

インタビュアー:スティーブン・ホーキング博士の例を出されていましたが、ロールモデルの存在は非常に重要だと思います。ご自身にはそういった人はいましたか?

バイアース博士:特にいません。もしかしたら母が一番のロールモデルかもしれません。科学者として成功しているのを見てきましたし、母が唯一のロールモデルでしょう。

インタビュアー:あなたの活躍が人目に触れることで、障害に対する考え方を変えることもできるのではありませんか?

バイアース博士:全くその通りです。私は何人かの同僚から、「あなたがツイッター[注:現エックス]で発信してくれてよかった。目からうろこが落ちる思いだ。今は自分の周りにある様々な障壁や、それを改善するためにできることが見えてきた」と言われました。あるいは、「同僚に、物事の段取りができない人がいるけれど、私が手伝えることがあるかもしれない。『何かやれることはある?』と聞いてみようかしら」とか。そういったことは本当に人助けにつながります。教育することが、人助けをすることになるのです。

他に言いたいのは、この領域では、誰と一緒に働くか、一緒に働く相手をどう選ぶかが、とても重要ということです。これまでに、数多くの障害を持つ学生やポスドクが、理解のあるグループリーダーやアドバイザー、指導教員のもとでやり遂げるのを見てきました。しかし、より多くの学生、特に障害を持つ学生がドロップアウトするのも見てきました。健常者至上主義の理解のないリーダーの下で潰されていったのです。選ばなければいけないときは、踏み込んだ質問をしてもいいのです。「私に障害があることをどう思いますか?」「私はやっていけるでしょうか?」「どうやったら一緒に働けますか?」などと。それで理解のない相手だったら、他の人を探すしかない。ずっと自分自身を隠し続けることはできないからです。そんなことをしても、事は困難になるだけです。ですから、強い心をもつことと、一緒に働く人を正しく選ぶことは、とても重要だと思います。